――それはとある日の昼下がり――
∨(ヴァン)やあポール、なにをしているんだい?
P(ポール)ああ、ヴァンか。ボンジュール!
いやなにって、商店街のビルを眺めていたのさ! この連なるファサードをみるといつだってパリを思い出すね。花の都パリ、アパルトマンに滞在した素晴らしい思い出……
∨ いやその話は何度も聞いたからいいや。
それはともかく、たしかに特徴的な建物だよね。ひとつの大きなビルでありながら、実際は壁のくっついた町家のように土地も所有者も違うとか。それが何棟も連なっている訳で……考えるほど貴重なものもように思えてきた!
P だろ! まさに海のアパルトマン。それにしてもこれっていったいいつから建っているんだ?
お(商店街のおじさん)なんだおまっちゃ、こんなビルなんか珍しげに見て!
∨ あ、おじさん。こんにちは。
P いや、このなんとも風情のあるビルに興味津津でしてね! そうまさにこれはパリの――
お その話はもう聞いたからいいちゃ。
それよりビルの話が聞きたかったらカネセさんのとこに行ってこられ。
∨ カネセさんっていうと、「カネセかなもの店」のご主人ですね。
お おお、カネセさんはこの共同ビル造成の立役者の一人やからな。
P なるほど、それじゃ早速いってみよう!
V おじさん、ありがとうございました!
P こんにちはー! カネセさん、いらっしゃいますかー!
カ(カネセかなもの店 ご主人)おお、いらっしゃい。今日はどうしたが?
∨ 僕たちこの共同ビルにちょっと興味が湧いちゃいまして、カネセさんがお詳しいと聴いたのですが……
カ そんながけ。だいぶ昔の話やけどねえ……
P そもそもこの共同ビルが建ったのは何年なんですか?
カ ええとね、最初のビルが建ったのは昭和42年かな。
∨ というと1967年ですね。だいたい築50年か。
P どうしてこういうビルをつくることになったんですか? 経緯も含めて教えてください。
カ 昭和38年に豪雪があったんよ、この辺で。そのときは今の通りよりも道幅が狭かった。この半分ほどしかなかった。雪が山ほどになって商売どころじゃない。二階から出入りしとったくらいで。
P へえー。それはすごい!
カ それを契機に、よし道路を拡幅しまいかと、こういう話になったがやちゃ。
∨ このビルもそのときに話が出たわけですか?
カ いや、はじめは道路の拡幅だけと思うとったんや。そしたらどうせなんかやるがならっていうんで役所から話もらって。金沢の片町に、北陸第一号の防災街区――この共同ビル群のことやね――それがあるっていうんでちょっこ見に行ってこようかという話になったが。そんで市役所の建築課と連ん立って見に行ったがです。そういうことがあって防災街区というものがあることを初めて知ったがやちゃ。
P なるほど、そんな出会いだったわけですね。
∨ はじめて見た防災街区はどうでしたか?
カ いやあ3階建ての立派な建物で驚いた!!
P 運命の出会い! その出会いから今のこのビルがあるんですね。
カ 他の商店街の連中には、防災街区をつくるんなら国から助成金があたるからって説明してかって。最初は全員が賛成したわけじゃなかったけど、まずは賛成したところからということで防災街区造成組合というのが立ち上がった。そしてそれから1年後になるかね、中央町商店街振興組合っていうのをつくった。
∨ それまではなかったんですね?!
カ いや商店会ってものはあったがです。あったけどもそれはまあ公的なものでなく、任意団体みたいもんで、それを組合として正式に組織したが。おらはその副組合長になってね、それで発足した。
今でいう潮風ギャラリーが、当時北陸銀行の北支店になっとってね。そこの二階を会議室にして毎日のように集会しとった。銀行の人もよくしてくれた。「おう」言ってかって誰でもさーと二階に上がって、たまには酒を酌み交わしたりしておったが。まあそういう時代もあったという話やね。
∨ たしかに、今じゃセキュリティの問題とかでそういはいきませんもんね。
カ 当時一番困ったのはねえ、建設省に陳情にいかんなんってことになって。ツテを辿って商店主3人で連れ立って東京に行って。ちょうど冬だったからブリを裸で担いでいってね(笑)
P 豪快ですね!(笑)
∨ 氷見らしい(笑)
カ そして担当職員の机にブリ置いてかって話をした(笑)
∨ これまた時代が感じられるエピソードですね。
カ おらっちゃこうしてきたのはこんなことで、と話をして、そしたらちょうどそのときに話をきいてくれたがが偉い方で、また偶然にも富山の出だったらしく、「おらっちゃって言葉聞いたのは久しぶりや」と言ってかって「わかりました」と。
P これまた運命の出会い!
カ まあそんなような経緯があって共同ビルが建った。まずは昭和42年に今明光義塾がある角のブロック、その翌年にこのビルとまちづくりバンクのあるビル、吉田屋のあるビルの三棟。それから周りも続いて最後は漁港に向かう道沿いのビルが建ち、全部で八棟の共同ビル群になったがです。
∨ 今の姿ですね。そんなエピソードがあったとは……
P 五十年の歴史とともに商店街で生きたみなさんのドラマを感じました!
ところで気になるのはこのお店の話……だけど時間が足りないので今日はこのへんで。気になるカネセかなもの店についてはまた次回聞かせてください!
∨ ちょっと大人の事情な繋ぎ方ですが、また次回。引き続きカネセかなもの店についてご紹介します! 乞うご期待です!!
今回お話をうかがったお店
『カネセかなもの店』
神埜 雅夫(こうの まさお)さん